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半井卜養 なからい ぼくよう

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美術人名辞典の解説

半井卜養

江戸初期の医者・俳人。堺の人。牡丹花肖柏の孫。俳諧を松永貞徳に学ぶ。狂歌にも巧みであった。幕府に召され法眼となる。延宝6年(1678)歿、72才。

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デジタル大辞泉の解説

なからい‐ぼくよう〔なからゐボクヤウ〕【半井卜養】

[1607~1678]江戸前期の俳人・狂歌師。の人。名は慶友。幕府の医師として江戸に招かれた。俳諧を松永貞徳に学び、和歌・連歌・狂歌をよくした。家集「卜養狂歌集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

半井卜養 なからい-ぼくよう

1607-1679* 江戸時代前期の医師,俳人。
慶長12年生まれ。半井云也(うんや)の子。寛文6年幕府の番医となり,のち典薬頭(てんやくのかみ)。かたわら,松永貞徳(ていとく)に俳諧(はいかい)をまなび,江戸俳壇の草分けひとりとなる。即興の狂歌も得意とした。延宝6年12月26日死去。72歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。名は慶友。別号に奇雲,牧養軒,雪嶺,宗松。作品に「卜養狂歌集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

半井卜養

没年:延宝6.12.26(1679.2.7)
生年:慶長12(1607)
江戸時代の狂歌作者,俳人。本姓は和気氏。医者の傍ら文事を好んだ。若くして俳諧,狂歌に遊び,京都で松永貞徳らと一座した。27歳のころには,すでに堺俳壇の第一人者であった。寛永13(1636)年前後より,しばしば江戸に住して,斎藤徳元,石田未得らと交わり,江戸俳壇の草分けとなり,貞門の五俳哲のひとりに称された。慶安1(1648)年に姫路城主松平忠次の家医となる。寛永17年仮名草子『和薬物語』を著す。承応2(1653)年将軍に見参を許され,鉄砲洲に居宅を賜った。このころより狂歌活動が盛んになり,朽木稙綱,酒井忠能ら諸大名と贈答を行った。その狂歌は『卜養狂歌集』にみられるように措辞,格調よりも即興性に妙がある。

(園田豊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なからいぼくよう【半井卜養】

1607‐78(慶長12‐延宝6)
江戸初期の狂歌師,俳人。通称は半井宗松。別号は慶友。堺の医師で,のち江戸に出て幕府の医官になり法眼に叙せられた。江戸俳諧の草分けの一人で江戸五俳哲の一人に数えられ,また即興的な狂歌の名人として聞こえた。狂歌家集に《卜養狂歌集》《卜養狂歌集拾遺》があり,仮名草子《和薬物語》の作もある。〈又と世にあるものでない過去未来源左衛門が舞のなりふり〉(《卜養狂歌集》)。【森川 昭】

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大辞林 第三版の解説

なからいぼくよう【半井卜養】

1607~1678) 江戸前期の俳人・狂歌師。本姓、和気氏。別号慶友など。堺の生まれ。江戸に下り、幕府の御番医を勤めた。松永貞徳門。連歌・和歌をもよくした。著「卜養狂歌集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

半井卜養
なからいぼくよう

[生]慶長12(1607).堺
[没]延宝6(1678).12.26. 江戸
江戸時代前期の俳人,狂歌作者,医師。初号,慶友。法号,牧羊軒雪領宗松。大徳寺の江月和尚は母方の叔父,翠巌和尚は実弟。父云也 (うんや) の影響で早くから俳諧,狂歌をたしなんだ。寛永末江戸に下り,やがて医師として幕府に仕え,延宝1 (1673) 年法眼。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

半井卜養
なからいぼくよう
(1607―1678)

江戸前期の俳人、狂歌師。別号慶友、宗松。堺(さかい)の人でのち江戸に住した。医学の名家半井氏(本姓和気(わけ)氏)の支流で、代々文事をたしなんだ。卜養も医を業とし、寛永(かんえい)(1624~44)年中からたびたび幕府に召され、1666年(寛文6)御番医師、1673年(延宝1)法眼(ほうげん)になった。俳諧(はいかい)は貞徳に批評を請い『犬子(えのこ)集』に多数入集、江戸五俳哲の一人に数えられた。作風は口拍子にかかりリズミカルな点に特徴がある。狂歌もたしなみ、即興歌の名人として聞こえた。家集『卜養狂歌集』『卜養狂歌集拾遺』のほか、仮名草子『和薬(わやく)物語』がある。
 うち出(いず)る月は世界の鉄砲洲(てっぽうず)たまのやうにて雲をつんぬく[森川 昭]

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世界大百科事典内の半井卜養の言及

【狂歌】より

…安土桃山時代の狂歌作者には,南禅寺の住持にまでなった禅僧で《詠百首狂歌》の作者雄長老,当代歌学の権威細川幽斎,碁の名人本因坊算砂,豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゆう)大村由己,狂歌百首をのこした聖護院道増,《醒睡笑》の作者で浄土宗誓願寺の住職安楽庵策伝,公家の烏丸光広らがあり,それぞれの道の第一級の人々が余技として狂歌を楽しんだ。寛永以後は貞門俳人が中心で,松永貞徳,斎藤徳元,半井卜養,池田正式(まさのり),石田未得,高瀬梅盛らにまとまった作品があり,俳諧点取りの奥書に狂歌が応酬されていたりする。《古今夷曲集》の生白庵行風(せいはくあんこうふう)や《鳩の杖集》の豊蔵坊信海(ほうぞうぼうしんかい)になると,俳諧より狂歌に重点が移ってくる。…

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