改訂新版 世界大百科事典 「湯貽汾」の意味・わかりやすい解説 湯貽汾 (とういふん)Tāng Yí fén生没年:1778-1853 中国,清代の画家。字は若儀,号は雨生。晩年は粥翁(ひつおう)と号した。江蘇省武進(現,常州)の人。1853年(咸豊3)太平天国軍の攻略にあって殉死し,貞愍(ていびん)という諡(おくりな)を贈られた。天文,地理,百家の学問を修め,弾琴,撃剣,吹簫の諸芸に秀でた。書画詩文に巧みで,書画は董其昌(とうきしよう)を倣って花卉(かき),梅の画に高い気韻を漂わせ,松柏の画には古拙味があった。戴煕とともに最後の文人画の一人として並称される。著に《画筌折覧》《画眉楼》《琴隠園諸集》がある。執筆者:遠藤 光一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by