源有賢(読み)みなもとのありかた

朝日日本歴史人物事典 「源有賢」の解説

源有賢

没年保延5.5.5(1139.6.3)
生年:延久2(1070)
平安後期の管絃に堪能な公卿。父は敦実親王を祖とする郢曲宇多源氏嫡流の刑部卿政長,母は能季の娘,頼光の娘などの記述があり不詳。息子は資賢。『続古事談』には堀河天皇が初めての朝覲行幸で笛を吹かれたとき,笛の師である政長の息の有賢の殿上が許された話が載るなど,いくつかの説話集に登場する。郢曲や笛のほか,鞠や和琴にも巧みであった。中務大輔,右少将,左京権大夫,斎院長官などを経て天承2(1132)年より宮内卿。保延2(1136)年法金剛院御塔供養行事賞として非参議従三位を授けられる。保延5年4月25日病のため出家,翌月死去。

(小川寿子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源有賢」の解説

源有賢 みなもとの-ありかた

1070-1139 平安時代後期の公卿(くぎょう),雅楽家。
延久2年生まれ。源政長(まさなが)の子。宮内卿となり,保延(ほうえん)2年従三位。宇多源氏の嫡流で,家芸の郢曲(えいきょく)(歌謡)をうけつぐ。笛,和琴(わごん)にすぐれた。保延5年5月5日死去。70歳。

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