宇多天皇を祖とする賜姓源氏。一世の賜姓は藤原忠平室となった源順子など女子のみで,他は斉世,敦慶,敦固,敦実諸親王の子の賜姓である。敦実親王の系統が最も栄えた。親王の子源雅信(920-993)は左大臣として朝廷に重きをなし,弟重信(922-995)も左大臣に昇ったが,ともに父敦実親王の才能をうけて音楽の道に秀でていた。雅信の兄の寛朝(かんちよう),弟雅慶(がけい)はともに東寺長者,法務,大僧正となり,真言密教の重鎮として活躍した。雅信の子のうち時中は大納言,扶義は参議,女の倫子は藤原道長の正室となる。時中の系統は後世まで朝廷に仕えて公卿も多く出し,庭田家,綾小路家の両流をなした。扶義の子参議経頼は日記《左経記》を残している。重信の孫大納言源経信の子に歌人源俊頼がある。時中の弟時方の子孫に文章博士仲章があり,源実朝暗殺の際ともに殺された。なお,近江源氏の佐々木氏は扶義の流と伝えている。
執筆者:黒板 伸夫
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宇多天皇の4皇子の子孫で源(みなもと)姓を与えられて臣籍に入った者の流れ。敦実(あつざね)親王の子雅信(まさのぶ)の子孫が最も栄え、綾小路(あやのこうじ)、庭田(にわだ)、五辻(いつつじ)、慈光寺(じこうじ)、春日(かすが)氏などの公家(くげ)や武家の佐々木氏(近江(おうみ)源氏)が出た。
[編集部]
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…孝元天皇の皇子大彦命の子孫,狭々城山君を祖と伝える佐々貴山公氏(以下佐々貴氏と略称)は,沙沙貴神社を氏神とし,近江国蒲生郡を中心に栄え,奈良・平安時代には蒲生郡,神崎郡の大領などに就任した。一方,宇多天皇の皇子敦実親王の子の雅信は936年(承平6)源の姓を賜って臣籍に下り,その孫成頼は近江に土着して宇多源氏系佐々木氏の祖となり,孫の経方は蒲生郡佐々木荘小脇の館に住んだ。こうした佐々貴氏の北に接して宇多源氏系佐々木氏が土着し,両者の同化も進んだ。…
※「宇多源氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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