日本歴史地名大系 「源河村」の解説 源河村ぎんかむら 沖縄県:沖縄島北部名護市源河村[現在地名]名護市源河(げんか)羽地(はにじ)間切の北西端に位置し、西は稲嶺(はにく)村、東は大宜味(いぎみ)間切平南(ひなん)村(現大宜味村)。ジンカともよぶ。南に一(ひと)ツ岳(二九五・四メートル)や宇橋(うばし)山(二八三・六メートル)などの山々が連なる。そこに源を発する源河(げんか)川は当村で東シナ海に注ぐ。下流の沖積低地にジンカターブックヮ(源河田袋)とよぶ美田地帯が形成されている。集落は多くが山裾に立地し、早くに成立した田原(たばる)・前川(めーがー)・水原(みずばる)・浜(ぱま)・シーバマ(瀬洲浜原)、開墾集落の後原(くしばる)・大湿帯(ウフシッタイとよぶ)の七つで構成される。古琉球後期から近世にかけての源河大(げんかうー)グスク遺跡が故地と想定される。「おもろさうし」巻一七の一二に「一 きんか なりよもひか(源河ナリ思いが)/みやきせん のほて(今帰仁に上って)/とくみつは けらへて(疾く満つ〔倉庫〕を造って)/とくみつは 御くらの とよみ(疾く満つは御蔵の鳴響み)/又 いちへき なりよもいか(優れたナリ思いが)」とみえ、穀物を収める蔵をほめることは豊穣を予祝してのことである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by