朝日日本歴史人物事典 「源頼賢」の解説
源頼賢
生年:生年不詳
平安末期の武将。源為義と源基実の娘の子。義朝,義賢らの弟。久安3(1147)年に左兵衛少尉に就任,翌年衛門尉の功を募って天王寺念仏堂を造進。僧徒の強訴防御に活躍したほか,父と共に藤原頼長一族に奉仕。義朝の東国下向,義賢の解官後,為義の後継者になったとされる。久寿2(1155)年に春日社の訴えで解官。同年,養父だった兄義賢が甥の義平に殺害されたため,報復に下向して信濃国で鳥羽院領を侵害,義朝に追討の院宣が下されたが,その後帰京し年末に没した高陽院の葬儀で素服を賜わっている。翌年の保元の乱で父と共に崇徳上皇方に参戦,院の六位判官代となる。敗戦後,父と共に船岡山で義朝に斬首された。<参考文献>上横手雅敬「院政期の源氏」(『御家人制の研究』)
(元木泰雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報