おもに平安・鎌倉期,天皇・院の意志に基づいて発布された法令。南北朝初期にも1例を数える。本来,新制とは天皇・院の発布したものをさしたが,鎌倉期に入って幕府が発布した同種の法令を武家新制(また関東新制)と称するようになると,天皇・院の発布した新制を公家(くげ)新制と称するようになり,このほか家中(けちゆう)新制,寺辺(じへん)新制などもあらわれた。
まず,公家新制についてみると,公家新制は10世紀中葉を初見とし,発布形式は,初期には太政官符,のち宣旨・官宣旨が一般的となり,鎌倉末期に至って院宣が通例となった。内容は禁制の性格をもつものがほとんどで,長暦年間(1037-40)以前のものは,服飾・饗禄の過差(かさ)禁制,賀茂祭使従者の員数制限などに限られていたが,1040年(長久1)以後荘園整理令を内容とする新制が繰り返された。新制の性格が大きく変化し,また政治的・社会的にも大きな影響をもったのは,後白河天皇(後白河院)の治政,1156年(保元1)から91年(建久2)のことであった。この時期に発布された新制は,まとめると,(1)院・天皇を明確に中世王権として位置づけ,(2)荘園の領有権を確定し,官職・身分の体系を確定し,(3)中世王権の直轄支配領域たる京都の市中法を策定し,(4)院・天皇による軍事統率権の観念的掌握とその武家権門への委任を意図したものであった。この時期は,保元の乱勃発から治承・寿永の乱終結に至る時期であった。平氏政権の興亡から鎌倉幕府の樹立というこの政治的激動の中で,1156年から91年の新制は中世王権の再生とその政治理念を表現したものであった。こののち,1212年(建暦2)以後繰り返された新制は,内容的に1191年新制の再確認という性格がつよく,徐々に形式化の色彩をこくしていった。
以上の公家新制に対し,個々の公家がこれにならって出した家中新制,寺院の出した寺辺新制があり,さらに鎌倉幕府の発布した武家新制(関東新制)があった。武家新制の初見は1225年(嘉禄1)で,初期には公家新制の伝達施行が主であったが,徐々に独自の内容を盛ったものとなっていった。なかでも,61年(弘長1)の武家新制は,実に61ヵ条に達し,その内容も神仏事の興行,武家儀礼,倹約,御家人役,訴訟手続,鎌倉市中法など幕府の庶政全般にわたるものとして注目される。
執筆者:棚橋 光男
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公家新制・新制官符・制符とも。公家法の一領域。10世紀半ば頃から制定されはじめ,14世紀半ば頃まで続いた特別立法の法令。天皇・上皇の意志にもとづき,公卿の議定をへて太政官符・官宣旨・宣旨・院宣などの形式で発布された。新制の新は正しきに革(あらた)めるの意で,弊害の是正・改革や伝統的規定の順守を内容とした。単行法令も数十カ条に及ぶものもあった。荘園整理令(保元元年新制,1156年),服飾過差禁令(建久2年新制,1191年)などがその典型例。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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