溝口城(読み)みぞくちじよう

日本歴史地名大系 「溝口城」の解説

溝口城
みぞくちじよう

筑後市の南東端、瀬高せたか町境の矢部やべ川中流右岸の自然堤防上か、瀬高町小田おだ広瀬ひろせの境付近にあったとみられる中世の城。康永二年(一三四三)七月日の田原正堅軍忠状(入江文書/南北朝遺文(九州編)二)に「溝口禅院城合戦」とみえ、同年五月八日に北朝方の田原正曇代黒沢可一が同城を落している。近世禅院ぜんにん(現瀬高町)下妻しもつま郡に属し、中世には郡境の矢部川が現在よりも南を流れていた。正平六年(一三五一)には三池頼親が肥後せき(現熊本県南関町)の合戦後、南朝方の菊池武光に供奉して「溝口城」に至っている(同年一〇月一八日「三池頼親軍忠状」三池文書/南北朝遺文(九州編)三)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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