日本歴史地名大系 「溝口村」の解説
溝口村
みぞくちむら
- 福岡県:筑後市
- 溝口村
溝口村
みぞのくちむら
東は
近世は初め幕府直轄領、寛永年間(一六二四―四四)旗本斎藤領、元禄元年(一六八八)幕府直轄領に復した。寛文九年(一六六九)二子村とともに矢倉沢往還伝馬宿となり、両村で人足二人、馬一疋を用意し、伝馬役は上二〇日を溝口村、下一〇日を二子村が勤めた(川崎市史)。
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞのくちむら
- 和歌山県:海南市
- 溝口村
慶長検地高目録によると村高六六四石余、小物成六升四合であるが、これは後に分村する新村を含み、天保郷帳では三九七石余に減じている。
溝口村
みぞぐちむら
- 広島県:東広島市
- 溝口村
溝口村
みぞのくちむら
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞぐちむら
溝口村
みぞぐちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報