溝古新田(読み)みぞこしんでん

日本歴史地名大系 「溝古新田」の解説

溝古新田
みぞこしんでん

[現在地名]吉田町溝古新

西にし川左岸の自然堤防上に形成され、北と南は佐善さぜん(現分水町)集落耕地と錯雑する。寛永年間(一六二四―四四)に溝村から分村したという。慶安二年(一六四九)に村上藩領となり、明暦三年(一六五七)検地が行われ、以後江戸時代を通して同藩領(西蒲原郡誌)。真宗仏光寺派清伝せいでん寺の開基没年は寛文一一年(一六七一)といい、村の成立期をおよそ推定しうる。正保国絵図では幕府領、高五六石余。貞享元年(一六八四)の村上藩領分郷村高辻帳・元禄郷帳の高はともに一六五石九斗余で、溝古新村とし、もとは溝古新田村と称したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android