滅多町(読み)めつたまち

日本歴史地名大系 「滅多町」の解説

滅多町
めつたまち

[現在地名]相馬市中野なかの 北反町きたそりちよう

鍛冶かじ町西端から北反町までの東西の通りで、町の東端にある真宗正西しようさい寺の境内は、もと小人の居住地であった。家数は変遷が多く、また町筋にも変化があったが、幕末には農家・職人など六戸となっている(以上「奥相志」)前記の正西寺は現在真宗大谷派に属するが、文化七年(一八一〇)越中から来た闡教が馬場野ばばの村に建てた東福とうふく庵がその緒である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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