滑里川村(読み)なめりかわむら

日本歴史地名大系 「滑里川村」の解説

滑里川村
なめりかわむら

[現在地名]大信村隈戸くまど

小萱こがやから東流する外面とづら川支流の背戸せと川の山間に位置し、岩瀬郡に属した。南は白河郡飯土用いいとよ村、東は同郡増見ますみ村、西は上小屋かみごや村、北は下小屋村。南北に白河街道が通るが宿駅ではなかった。初め会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、慶応二年(一八六六)以後幕府領。寛永年間白河城主丹羽長重が城の改修をしたとき、新田開発をする者には城普請の諸役を免除したため、下小屋村から民家を移して開発した(白河風土記)。慶安三年(一六五〇)には高一四二石余で(白河古領村郷高帳)、この高は江戸時代を通じて変わらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む