澄川村(読み)すみかわむら

日本歴史地名大系 「澄川村」の解説

澄川村
すみかわむら

[現在地名]匹見町澄川

匹見川の中流域にあたり、左岸におもな平坦地が広がる。東は広瀬ひろせ村、北は津茂つも(現美都町)能登のと川が長尾原ながおはらで匹見川へ合流する。中世疋見ひきみ別符(疋見郷)のうち。暦応三年(一三四〇)一二月一二日の鷲頭弘員注進状(三浦家文書)に隅河とみえ、弘員は平子重嗣らとともに南朝方の豊田公藤三郎の城を攻撃する際、八月末に豊田原から当地に陣を移し、二ヵ月にわたる合戦ののち敵を攻落している。なお住河・澄河・墨河などとも記された。元和五年(一六一九)の古田領郷帳に村名がみえ、高二四六石余、年貢高は田方五五石余・畑方七二石余。正保四年(一六四七)の古田領郷帳では有高二四〇石余、免五ツ一分余。紙漉が盛んで、鮎・うるかも上納した。正徳年間(一七一一―一六)浜田藩の益田代官所澄川出張所が置かれた(石見匹見町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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