日本歴史地名大系 「瀬ノ脇村」の解説 瀬ノ脇村せのわきむら 長崎県:長崎市瀬ノ脇村[現在地名]長崎市飽(あく)の浦町(うらまち)水(みず)ノ浦(うら)村の南、長崎浦の西岸にあたる。江戸時代は幕府領長崎代官支配で、元禄国絵図に「瀬ノワキ」「ハタカ嶋」と記される。安永七年(一七七八)の長崎図および享和二年(一八〇二)の長崎絵図では浦に臨んでセノワキと記され、西手にエヒス社が描かれる。また沖にハタカシマがみえる。天保郷帳では浦上(うらかみ)村のうち。弘化二年(一八四五)「浦上村淵瀬之脇浦」の漁師頓五郎ら六人は高浜(たかはま)村(現野母崎町)沖に鮑稼に出漁したところ海底に鉄碇をみつけ、およそ二一〇斤ほど引上げたので、これを長崎市中今鍛冶屋(いまかじや)町の釘商いに売払ったところ露見して捕らえられ、吟味を受けた(口書集)。安政三年(一八五六)の浦上村淵惣竈目録(「御用留」志賀家文書)では竈数五(漁師)、家数四〇・人数一七二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by