翻訳|crucifixion
特に古代の地中海地域において広く行われた処刑の形態で,はりつけともいう。主に政治犯,盗賊,奴隷などに対して,またローマ帝国では市民権を持たない犯罪者に対して執行された。受刑者を刑柱にくぎで打ちつけるかひもで結びつけ,拷問(むち打ちなど)を加える。歴史的には,ペルシアのダレイオス1世により前519年にバビロンで政治犯3000人が,後30年ころにナザレのイエスがエルサレム郊外で処刑された例が有名である。キリスト教を初めて公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世(大帝)は,337年これを禁止した。
イエスの磔刑は新約聖書によれば,エルサレム郊外ゴルゴタの丘で行われた。ピラトに死刑を宣告されたあと,イエスは紫の衣を着せられ,茨の冠をかぶせられ,〈ユダヤ人の王,ばんざい〉と嘲笑された。葦の棒で頭をたたかれ,つばをかけられる侮辱を受けたあと,みずから十字架を背負い刑場へ向かう(十字架の道行)。着物を脱がされてから十字架につけられ,頭の上にはINRI(Iesus Nazarenus,Rex Iudaeorumの略。ラテン語で〈ユダヤ人の王,ナザレのイエス〉の意)と書かれた罪状札がとりつけられた。同時に2人の盗賊もイエスの左右で十字架にかけられ,彼らもユダヤ教の祭司たちといっしょにイエスを口汚くののしった。イエスは《詩篇》22篇の冒頭の句〈神よ,神よ,なぜ我を見捨てられるのか〉を大声で叫び,息絶えた。イエスの死はキリスト教によれば,万人の罪をあがない(贖罪),人々を救済する犠牲的な行為であると解されている。
磔刑の図像は,初期には子羊,魚,ブドウの木などで象徴的に表され,十字架上のイエス像は5世紀以降に現れた。磔刑像は単独で表されることもあるが,十字架の下に聖母マリア,福音書記者ヨハネ,マグダラのマリアなどがいることもある。またイエスの右のわき腹を槍で突いたり,没薬(もつやく)を混ぜたブドウ酒をイエスに与えたりする兵士たちや,イエスが流した血と水が,十字架の下の岩穴の骸骨(アダムの骨)に降りかかる場面も表される。
→受難
執筆者:篠 雅広
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…古代地中海世界に見られた磔刑具であるが,とくにイエス・キリストがかけられたものをいう。十字架を重罪人の磔刑具として用いたのはおそらくフェニキア人が最初であろう。…
…キリスト教会では,エルサレム入城の日曜日を〈枝の主日〉,その日から復活祭の前日までの1週間を〈聖週間〉と呼ぶ。磔刑の日とされる,その週の金曜日を〈聖金曜日(受難日)Good Friday〉として記念し,典礼を行う。
[受難図]
受難の苦しみを追体験することは信仰の基礎であるため,受難のありさまは古くから美術の重要な主題となった。…
…すなわちローマ法の磔は,刀による迅速な死に値しないという侮辱的意味をもった死刑であった。キリスト教の影響によって,コンスタンティヌス帝の末年に磔刑(たつけい)は廃止され,その柱を利用する絞殺に代わった。 日本では,平安時代の末ごろから磔(八付(はつつけ),機物(はたもの)ともいう)が現れ,戦国時代には逆磔(さかさはりつけ)も行われた。…
…後者の型は,ヨハネが十二弟子の中でもっとも若く,しかも生涯を通じて童貞であったことに基づく。〈カナの婚礼〉〈キリストの変容〉〈オリーブ山上の苦しみ〉〈最後の晩餐〉〈磔刑〉など,多くのイエス・キリスト伝中の説話に重要な人物として登場する。〈最後の晩餐〉では,師に愛された弟子としてキリストの胸によりかかり,眠っていることが多い。…
※「磔刑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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