瀬名貞雄(読み)せな・さだお

朝日日本歴史人物事典 「瀬名貞雄」の解説

瀬名貞雄

没年寛政8.10.4(1796.11.3)
生年享保1(1716)
江戸後期幕臣,故実家。初名弌福。通称巳之助,主膳,源五郎。狐阡軒と号する。寛延1(1748)年大番組士となり,天明2(1782)年番を辞して小普請組に入る。その後,寛政1(1789)年抜擢されて奥右筆組頭格となり,『藩翰譜続編』の編纂を命じられたが,事業半ばにして没した。武家故実に詳しく,徳川幕政初期からの歴史や江戸の地理を考究した。家伝において自らを今川(貞世)氏の末裔と主張している。<著作>『瀬田問答』『今川家式』『武家職掌分類』『江戸割絵図』『改撰江戸志』

(小宮木代良)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬名貞雄」の解説

瀬名貞雄 せな-さだお

1716-1796 江戸時代中期-後期の有職(ゆうそく)家。
享保(きょうほう)元年生まれ。幕臣。江戸開府以来の史実にくわしく,寛政元年奥右筆組頭格となり,「藩翰譜(はんかんふ)続編」の編集にあたる。寛政8年10月4日死去。81歳。江戸出身。通称は源五郎。号は狐阡(こせん)軒。著作に「関東補任記」など。

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