新井白石(あらいはくせき)の著書。白石が主君甲府綱豊(こうふつなとよ)(後の6代将軍徳川家宣(いえのぶ))の命により、1702年(元禄15)に編纂(へんさん)上呈したもの。全13巻20冊。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いから1680年(延宝8)4代将軍家綱(いえつな)の代の終わりまで、80年間の全大名家の経歴と系譜とが記述されている。書名は綱豊自身が選んだもので、藩は「まがき」「まもり」の意味である。本書は幕藩体制の鳥瞰図(ちょうかんず)的役割をもつことのほか、政治の参考書であり道徳教訓書でもあった。また優れた文章と豊かな内容とによって、家宣が死ぬまで座右を離さなかったのをはじめ、武家一般に広く読まれ、大名家で本書を備えないものはなく、古今いまだその比をみない盛行ぶりといわれた。本書執筆のために白石は全精力を傾け、そのため「白髪満頭」になったと告白しているほどであるが、その後も少なくとも三度手入れが行われた(完成は1716年以後のこと)。疑わしいことは書かず、実証主義を堅持しているところに学問的良心の強さがみられるが、情景を生き生きさせるための作為や、系図の部分におけるかなりの誤りなどの弱点もある。のち11代将軍家斉(いえなり)のとき、本書の後を受けて『続藩翰譜(ぞくはんかんぷ)』が編纂されたこと、大名家で系図や祖先の事績が問題となったときかならず引き合いに出されたことなどをみれば、本書が権威ある著作、いわば標準的史書として扱われていたことが知られよう。『新井白石全集 第1巻』『訂正藩翰譜 上下』所収。
[宮崎道生]
1600年(慶長5)から80年(延宝8)までの間に徳川将軍に臣属した諸大名家の系譜と歴代の伝記の集成。新井白石著。13巻(正編10巻,付録2巻,凡例・目録1巻)20冊。1701年(元禄14)正月に甲府宰相徳川綱豊(家宣)の命を受け,7月11日に起筆,10月に脱稿,書名を綱豊が命名し,翌年2月に清書本を上呈した。写本で伝来したので巻次の差異や異本が多い。書名は徳川将軍家を中国の王室になぞらえて,諸大名をその藩翰(藩はかきね,翰は幹と同じで,国の柱の意)とみなした意である。徳川家一門(三家,越前家など),松平姓,外戚,譜代,外様の順に配列し,廃絶の家を付録に収め,計337家に及んでいる。短時日に完成されたもので事実の誤謬があり,白石自身のちに補訂を加えた。しかし,1000巻余の書籍を参考とし,古文書,古記録,古老の物語などを材料とし,力強い文章で武士の言動を叙述し,史家としての力量がよく発揮されており,近世史の研究に必須の資料である。《新井白石全集》所収。
執筆者:山本 武夫
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大名の系譜と伝記の集成。新井白石編。凡例目録1巻・正編10巻・付録2巻。1701年(元禄14)白石が甲府藩主徳川綱豊(6代将軍家宣)の命をうけ,翌年に進呈。1600~80年(慶長5~延宝8)における1万石以上の大名337氏の始封・終封・廃除などの事績が,松平諸家・譜代・外様の順で記され,付録は廃絶諸家を収録。叙述は簡潔で実証的だが,考証の不備もみられ,白石自身も致仕後に修正を加えている。1789年(寛政元)幕府は本書の続修を企図し,1805年(文化2)瀬名貞雄・岡田寒泉らによって編纂がなった。「新井白石全集」所収。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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