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藩翰譜 はんかんぷ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藩翰譜
はんかんぷ

江戸時代中期に成立した歴史書正編 10巻,付録2巻,凡例目録1巻。新井白石著。元禄 14 (1701) 年甲府藩主徳川綱豊 (のちの6代将軍家宣) の命によって起稿。翌 15年2月呈上。内容は慶長5 (1600) ~延宝8 (80) 年の 80年間における1万石以上の大名の 337家について,その始封,襲封廃除などを記したもの。著者の記述態度は非常に公平であり学問的である。また,同書に続いて幕府の命によって岡田寒泉瀬名貞雄が『続藩翰譜』を文化3 (1806) 年6月に完成している。

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デジタル大辞泉の解説

はんかんぷ【藩翰譜】

江戸中期の歴史書。13巻。新井白石著。元禄15年(1702)成立。慶長5年(1600)から80年間の、諸大名337家の由来事績を集録し、系図をつけたもの。

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百科事典マイペディアの解説

藩翰譜【はんかんふ】

江戸前期の各藩の年譜新井白石著。13巻。1600年―1680年の大名337家の始封・襲封・廃除などを記す。1700年甲府藩主徳川綱豊(のちの将軍家宣)の内命をうけ,1702年完成。

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世界大百科事典 第2版の解説

はんかんふ【藩翰譜】

1600年(慶長5)から80年(延宝8)までの間に徳川将軍に臣属した諸大名家の系譜と歴代の伝記の集成新井白石著。13巻(正編10巻,付録2巻,凡例・目録1巻)20冊。1701年(元禄14)正月に甲府宰相徳川綱豊(家宣)の命を受け,7月11日に起筆,10月に脱稿書名を綱豊が命名し,翌年2月に清書本を上呈した。写本で伝来したので巻次の差異や異本が多い。書名は徳川将軍家を中国の王室になぞらえて,諸大名をその藩翰(藩はかきね,翰は幹と同じで,国の柱の意)とみなした意である。

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大辞林 第三版の解説

はんかんふ【藩翰譜】

歴史書。一三巻。新井白石著。徳川綱豊(のちの家宣)の命を受けて1702年完成。1600年(慶長5)から80年(延宝8)にいたる諸大名三三七家の事績を記し、家ごとに系図を付す。はんかんぷ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藩翰譜
はんかんぷ

新井白石(あらいはくせき)の著書。白石が主君甲府綱豊(こうふつなとよ)(後の6代将軍徳川家宣(いえのぶ))の命により、1702年(元禄15)に編纂(へんさん)上呈したもの。全13巻20冊。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いから1680年(延宝8)4代将軍家綱(いえつな)の代の終わりまで、80年間の全大名家の経歴と系譜とが記述されている。書名は綱豊自身が選んだもので、藩は「まがき」「まもり」の意味である。本書は幕藩体制の鳥瞰図(ちょうかんず)的役割をもつことのほか、政治の参考書であり道徳教訓書でもあった。また優れた文章と豊かな内容とによって、家宣が死ぬまで座右を離さなかったのをはじめ、武家一般に広く読まれ、大名家で本書を備えないものはなく、古今いまだその比をみない盛行ぶりといわれた。本書執筆のために白石は全精力を傾け、そのため「白髪満頭」になったと告白しているほどであるが、その後も少なくとも三度手入れが行われた(完成は1716年以後のこと)。疑わしいことは書かず、実証主義を堅持しているところに学問的良心の強さがみられるが、情景を生き生きさせるための作為や、系図の部分におけるかなりの誤りなどの弱点もある。のち11代将軍家斉(いえなり)のとき、本書の後を受けて『続藩翰譜(ぞくはんかんぷ)』が編纂されたこと、大名家で系図や祖先の事績が問題となったときかならず引き合いに出されたことなどをみれば、本書が権威ある著作、いわば標準的史書として扱われていたことが知られよう。『新井白石全集 第1巻』『訂正藩翰譜 上下』所収。[宮崎道生]

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