20世紀日本人名事典 「瀬川露城」の解説 瀬川 露城セガワ ロジョウ 明治〜昭和期の俳人 生年嘉永4年(1851年) 没年昭和3(1928)年5月8日 別名通称=正夫,別号=俳禅窟 経歴大阪から須磨に移住、寝覚庵を結んだ。明治40年4月、14代主人の魯人没後、空庵になっていた義仲寺無名庵の15代主人となった。同寺住職三浦道海や信徒総代の懇請を入れたもので、以後粟津正風会を興し、散逸した義仲寺の寺宝の収集、境内整備、あるいは芭蕉廟の修築に努めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬川露城」の解説 瀬川露城 せがわ-ろじょう 1851-1928 明治-昭和時代前期の俳人。嘉永(かえい)4年生まれ。大阪,須磨にすんだのち,明治40年松尾芭蕉(ばしょう)の墓のある大津市義仲(ぎちゅう)寺の無名庵15世をつぐ。粟津(あわづ)正風会をおこし,芭蕉をまつる翁(おきな)堂の修築や境内の整備などにつとめた。昭和3年5月8日死去。78歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。本名は正夫。別号に俳禅窟。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by