瀬谷村(読み)せやむら

日本歴史地名大系 「瀬谷村」の解説

瀬谷村
せやむら

[現在地名]瀬谷区瀬谷町・東野あずまの本郷ほんごう一―三丁目・きた町・目黒めぐろ町・五貫目ごかんめ町・上瀬谷かみせや町・下瀬谷しもせや一―三丁目・橋戸はしど一―三丁目・北新きたしん竹村たけむら町・中屋敷なかやしき一―二丁目・南瀬谷みなみせや一―二丁目・卸本おろしほん町・南台みなみだい一―二丁目

東は瀬谷野せやの新田・宮沢みやざわ村および武蔵国都筑つづき上川井かみかわい(現旭区)、南は上飯田かみいいだ(現戸塚区)、西は高座こうざ深見ふかみ村・上和田かみわだ村・下鶴間しもつるま(現大和市)、北は武蔵国多摩郡鶴間つるま(現東京都町田市)・都筑郡長津田ながつだ(現緑区)に接する。東に中丸なかまる山があって西方に連なり、西をさかい川が曲折して流れ、清水しみず川・長谷戸ながやと川・やと川が合流する。土地はおおむね平坦である。北部を大山道が通り、南から中央やや西を八王子道、南部を中原なかはら道と神奈川道・鎌倉道が通る。

日蓮聖人註画讃」は、弘安五年(一二八二)九月一七日、日蓮が甲斐国身延みのぶ山を出て武蔵国池上いけがみ(現東京都大田区)に至る途中「瀬谷」に立寄ったと伝える。応永二四年(一四一七)一月日の石川幹国軍忠状写(県史三)に「依右衛門佐入道禅秀陰謀、去九日、於武州(ママ)瀬谷原、属完戸備前守手、至于同十日雪下御合戦」とあり、この地は府中ふちゆう(現東京都府中市)と鎌倉を結ぶ鎌倉道の西の道が通っていた。


瀬谷村
せやむら

[現在地名]常陸太田市真弓まゆみ

真弓山南の丘陵上に位置し、真弓村の東にあたる。南の大森おおもり村に至る道筋上の村。「和名抄」の久慈郡世矢せや郷の地とされる。治承五年(一一八一)の源頼朝寄進状案(塙不二丸氏蔵)に鹿島社御領として「世谷」とあり、康永二年(一三四三)写の鹿嶋太神宮領田数注文(鹿島神宮文書)に「世谷卅二丁二反六十歩」、弘安大田文の佐都西郡に「世谷四十二丁二段六十歩」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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