佐都西郡(読み)さとさいぐん

日本歴史地名大系 「佐都西郡」の解説

佐都西郡
さとさいぐん

中世の俗称郡名。古代の久慈郡から一二世紀の前半に分立したと推定される。おおよその郡域は里川の西岸から、源氏げんじ川流域一帯を含む地で、弘安大田文には「佐都西二百五十六丁三段小」とみえる。しかしその郷名のなかには現那珂郡東海村の「石神」、那珂町の「額田」などの地名があり、中世の郡域は久慈川を越えた地をも包括していたようである。

平安末期新羅三郎義光が常陸北部へ勢力を扶植、その孫に当たる昌義は佐竹名字としこの辺り一帯を本拠地とした。佐都西郡は佐竹氏の本貫の地である。治承四年(一一八〇)源頼朝の追討を受けて佐竹氏は没落し、所領は没収されて頼朝幕下の諸将に充行われた。秀郷流系図の佐伯の項によると当郡の郡地頭職は佐伯実盛が得たと思われる。のち建保元年(一二一三)和田義盛の乱の勲功賞として甥の伊賀光季に佐都東郡の地頭職が与えられたが、その際の「吾妻鏡」の記載ではすでに当郡は光季の手に入っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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