日本歴史地名大系 「瀬谷区」の解説 瀬谷区せやく 神奈川県:横浜市瀬谷区面積:一七・一〇平方キロ市の西北部に位置し、北は東京都町田(まちだ)市、緑(みどり)区、東は旭(あさひ)区、南は戸塚(とつか)区、西は大和市に接する。東西は最長二キロ余、南北は最長九キロ余の細長い地形。西境を境(さかい)川が流れる。南から北へ長い二条の平野があり、その間に清水(しみず)川・長谷戸(ながやと)川・谷(やと)川が流れ、いずれも境川に合流する。南には阿久和(あくわ)川が流れ、戸塚区内で柏尾(かしお)川となる。北部に旧矢倉沢(やぐらさわ)往還(現国道二四六号)、境川に沿って南北に旧鎌倉道、中央部に旧中原(なかはら)道(現主要地方道中山―茅ヶ崎線)、南部に旧八王子道(現県道瀬谷―柏尾線)などが通る。先土器時代の本郷(ほんごう)遺跡・狐(きつね)塚、縄文中期の乳出神(ちのでがみ)遺跡・三枚畑(さんまいばた)遺跡、弥生期の宮(みや)ノ下(した)遺跡・赤松戸(あかまつど)遺跡があり、長天寺下(ちようてんじした)・角の山(かどのやま)・北村原(きたむらはら)・五貫目(ごかんめ)町には横穴が散在し、中屋敷(なかやしき)や藪根(やぶね)からは奈良・平安時代のものと推定される土師器が発見されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「瀬谷区」の意味・わかりやすい解説 瀬谷〔区〕せや 神奈川県中部,横浜市西部の区。多摩丘陵にあり,西境を境川が流れる。 1969年戸塚区北部が分離して区制。横浜や湘南地方向けの野菜,庭木の栽培地であったが,昭和初期に相模鉄道が開通し,漸次住宅地となった。 1960年代から住宅団地が急増。内陸工業地域としても発展。北部にアメリカ軍の上瀬谷通信基地がある。面積 17.17km2。人口 12万2623(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報