日本歴史地名大系 「烟田城跡」の解説
烟田城跡
かまたじようあと
烟田の南西、北浦へ突出す鹿島台地(標高二五メートル)の南端に位置する。本城とその東側の八館から構成され、本城は一二〇メートル四方の敷地に土塁・空堀をめぐらす。八館は
城主烟田氏は鹿島氏の一族で、鹿島秀幹の三子朝秀の代から烟田氏を名乗り、天正期(一五七三―九二)の通幹に至るまで十数代にわたり四ヵ村(烟田・鳥栖・大和田・富田の各村)地頭を基盤に鹿島郡北部を支配した。この間、弘安二年(一二七九)に義幹、徳治二年(一三〇七)に景幹、応永五年(一三九八)に幹胤が鹿島神宮の大使役を勤仕している(「鹿島大使役記」安得虎子)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報