熊耳村(読み)くまがみむら

日本歴史地名大系 「熊耳村」の解説

熊耳村
くまがみむら

[現在地名]三春町熊耳

せりさわ村の北、南成田みなみなりた村の南、三春城下の東、相馬への道(国道二八八号)が横断し、北境沿いに八島やしま川が西流する。たての熊耳館跡には観応(一三五〇―五二)と読める供養石塔がある。応永一一年(一四〇四)と推定される国人一揆傘連判断簡(秋田藩家蔵白川文書)に「神山 沙弥祐金」とあって、神山かみやま居住の伊東祐金とみられる。永禄四年(一五六一)六月二三日の熊野山新宮年貢帳(仙道田村荘史)以下の年貢帳にはいずれも「熊神」とみえ、天正一八年(一五九〇)一〇月九日の熊野新宮領差出帳(片倉文書)では「熊耳 三町五反 一貫文」と記す。田村氏宿老外連名(同文書)に「熊耳文治郎足軽五十人」がみえ、田母神氏旧記(田母神文書)にも熊耳又十郎がみえる。慶安二年(一六四九)の三春領古城絵図(三春町史)は熊耳館を載せ、「城主熊耳太郎左衛門 根廻り四百廿間 高十四間」、本丸は「三十弐間 十八間」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報