大内熊耳(読み)おおうちゆうじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大内熊耳 おおうち-ゆうじ

1697-1776 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)10年生まれ。百済(くだら)(朝鮮)王室の後裔といわれ,姓を余ともする。秋元澹園(たんえん),荻生徂徠(おぎゅう-そらい)にまなぶ。京都,長崎に遊学して,江戸にもどり服部南郭に指導をうけた。のちに肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)の藩儒となった。安永5年4月28日死去。80歳。陸奥(むつ)田村郡(福島県)出身。名は承裕。字(あざな)は子綽。通称は忠太夫。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大内熊耳

没年:安永5.4.28(1776.6.14)
生年:元禄10(1697)
江戸時代中期の漢学者。陸奥国(福島県)三春の人。名は承裕,字は子綽,通称は忠太夫。熊耳と号す。百済王族の後裔の出ということで余氏を名乗る。父弥五右衛門は熊耳村の村長であった。17歳で江戸に出て,秋元澹園に師事。その後,上方を経て九州に至り,長崎に遊ぶ。ここで中国明代古文辞学の代表ともいうべき『李滄溟集』を見て,自らの文章を磨いた。長崎に居ること10年余り,江戸に戻り,肥前(佐賀県)唐津藩の儒員となる。文名は高く,当時の代表的文人として重きをなした。書家としても知られたという。<著作>『熊耳先生文集』

(高橋昌彦)

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精選版 日本国語大辞典の解説

おおうち‐ゆうじ【大内熊耳】

江戸中期の古文辞学派の儒者。陸奥三春の人。名は承祐、字は子綽、通称忠太夫。その祖は馬韓国余璋の太子琳聖という。秋元子帥、のち荻生徂徠(おぎゅうそらい)に師事し、古文辞をよくした。肥前唐津藩の儒員として仕える。著「家世遺聞」「熊耳文集」など。元祿一〇~安永五年(一六九七‐一七七六

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