片岡直次郎(読み)かたおか・なおじろう

朝日日本歴史人物事典 「片岡直次郎」の解説

片岡直次郎

没年天保3.11.23(1832.12.14)
生年:寛政5(1793)
江戸後期の小悪党。通称直侍旗本渡り用人の次男として生まれた。河内山宗俊と共に悪事を働き入獄したが文政7(1824)年追放となった。再びゆすりたかりを行ったため召し捕られ,江戸千住小塚原で処刑された。買いなじみの吉原大口屋の遊女三千歳が死骸を引き取り回向院に墓を立てた。河竹黙阿弥作の歌舞伎天衣紛上野初花」の三千歳直侍の件は独立してしばしば上演される情話劇となっている。

(梅崎史子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片岡直次郎」の解説

片岡直次郎 かたおか-なおじろう

1793-1832 江戸時代後期の無頼漢
寛政5年生まれ。旗本渡り用人の次男で,江戸四谷にすむ。異名を直侍(なおざむらい)といい,詐欺,ゆすり,たかりを常習としたが,捕らえられ天保(てんぽう)3年11月23日処刑された。40歳。のち講談「天保六花撰」や歌舞伎「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」に脚色された。

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世界大百科事典(旧版)内の片岡直次郎の言及

【天衣紛上野初花】より

…通称《河内山と直侍》。配役は河内山宗俊を9世市川団十郎,片岡直次郎を5世尾上菊五郎,金子市之丞・比企東左衛門を初世市川左団次,筆職人寺田幸兵衛・高木小左衛門を中村宗十郎,松江出雲守・手代半七を坂東家橘(14世市村羽左衛門),暗闇の丑松・宮崎数馬を5世市川小団次,按摩丈賀を尾上梅五郎(のちの4世尾上松助),三千歳・腰元浪路を8世岩井半四郎ほか。松林伯円の講談《天保六花撰》の脚色で,すでに7年前に《雲上野三衣策前(さんえのさくまえ)》として東京河原崎座で上演しているが,改めて大一座のために書き直したものである。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」