片田北村(読み)かただきたむら

日本歴史地名大系 「片田北村」の解説

片田北村
かただきたむら

[現在地名]西淡町志知北しちきた

西路にしじ浦の南、志知北村の西、西淡丘陵の東端部と山裾からしん川西岸に至る低湿地帯に立地する。片田南村の八幡神社の慶長八年(一六〇三)棟札に片田村とみえ、江戸初期には片田村一村であったが、のち片田北・片田南に分村したようである。正保国絵図に片田北村とみえ、高三〇九石余。天保郷帳でも同高。反別戸数取調書では反別二八町九反余、高三〇三石余、うち蔵入地高二五石余、高二四七石余は渡瀬九郎左衛門ら七名の給知、家数一二〇・人数四八四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む