日本歴史地名大系 「片田南村」の解説 片田南村かただみなみむら 兵庫県:三原郡西淡町片田南村[現在地名]西淡町志知南(しちみなみ)片田北村の南、鑪(たたら)村の西、標高二三一メートルの家(いい)山から東に広がる西淡丘陵東部山林地帯と新(しん)川の西岸に至る低湿地帯に立地する。江戸時代初め片田村が南北に分村したとみられる。正保国絵図に片田南村とみえ、高一二二石余。天保郷帳では高一五二石余。反別戸数取調書では反別一二町五反余、高一五九石余、うち蔵入地高六石余、高一五二石余は稲田九郎兵衛の給知、家数六〇・人数一七〇、うち土器師三。湊組に所属。阿那賀(あなが)浦から中(なか)街道へ出る道、湊(みなと)浦から福良(ふくら)浦(現南淡町)へ至る道が通る。「重修常磐草」に「今も片田村に土器作るものあり。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報