日本歴史地名大系 「牛立村」の解説 牛立村うしたてむら 愛知県:名古屋市中川区牛立村[現在地名]中川区牛立(うしだて)町、熱田区幡野(はたの)町・切戸(きれと)町・明野(あけの)町・千代田(ちよだ)町・青池(あおいけ)町・野立(のだて)町東は熱田神領、北は五女子(ごによし)村である。村の東部を百曲(ひやくまがり)街道が南北に通る。現在の熱田区野立町・河田(かわだ)町付近は牛立村・中野(なかの)村の地が混在していた地である。寛文一一年(一六七一)の家数一二一、人数四〇一(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田畑五八町二反余のうち田が三六町八反余、新田が七町七反余ある。概高九八八石余はすべて藩士一九人の給知。宮(みや)宿(現熱田区)の助郷村。 牛立村うしだてむら 大阪府:豊中市牛立村[現在地名]豊中市庄内東(しようないひがし)町五―六丁目・庄内西(しようないにし)町五丁目・日出(ひので)町一丁目・三和(さんわ)町一丁目・豊南(ほうなん)町南(みなみ)一―二丁目三屋(さんや)村の南、現豊中市の南部低湿地にあり、集落(現庄内東町五丁目)は天竺(てんじく)川西岸にある。「摂陽群談」には「牛立(ごだち)村」とみえ、「ごだち」というよび方もあったようである。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に村名がみえるが、単独の村高は不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by