牛踏村(読み)うしぶみむら

日本歴史地名大系 「牛踏村」の解説

牛踏村
うしぶみむら

[現在地名]稲沢市牛踏町

東と北は付島つけしま村に接し、村の北に人家が集中している(天保村絵図)。永禄八年(一五六五)織田信長が坪内喜太郎(利定)一族に三〇〇貫文を宛行った判物写(坪内家文書)に「五拾八貫文 牛踏方」とみえ、天正末頃は織田信雄の家臣角田嘉兵衛の知行地であった(織田信雄分限帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む