日本歴史地名大系 「牟呂村」の解説
牟呂村
むろむら
- 愛知県:豊橋市
- 牟呂村
中世は、牟呂郷と称し、建武二年(一三三五)一〇月二六日の北畠顕家袖判、結城上野入道々忠知行得宗領事(白河結城文書)に「牟呂草間郷」とみえて、北条氏一門の所領であって、結城宗広が知行していた。また延元元年(一三三六)四月二日の結城宗広譲状(同文書)によると、「牟呂郷」ほか渥美郡内一〇郷を結城顕朝に譲渡され、さらに応安二年(一三六九)六月一九日、顕朝より満朝へ、応永四年(一三九七)一〇月二一日満朝より氏朝へと伝領されている。戦国時代になると、「三州吉田記」には、今川氏に従った「東三河十七人郷士」のなかに室金平の名がある。また「三河国二葉松」にも牟呂村古屋敷として、牟呂城主鵜殿兵庫頭あるいは牟呂兵庫頭正茂の名がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報