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牟漏女王 むろのじょおう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

牟漏女王 むろのじょおう

?-746 奈良時代,三野(みのの)王の王女。
母は県犬養(あがたのいぬかいの)三千代。橘諸兄(もろえ)の妹。北家藤原房前(ふささき)の妻となり,夫の没後は北大家とよばれた。藤原永手,真楯(またて)らを生む。正三位。天平(てんぴょう)18年1月27日死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

牟漏女王

没年:天平18.1.27(746.2.21)
生年:生年不詳
奈良時代の貴族の女性,藤原房前の妻。父は美努王,母は県犬養橘三千代。695,96年の生まれか。無漏とも書く。光明皇后の異父姉,橘諸兄の妹。藤原不比等と再婚した三千代が,不比等の子房前を見込んで先夫との子牟漏を結婚させたという。和銅7(714)年に永手を,翌年真楯,御楯(双子)を出産。天平8(736)年,法隆寺に花形白銅鏡1面を寄進しているのは母の供養のためか。母の遺産を継ぎ,夫房前と共に家を経営していたと思われる。同9年に夫を痘瘡で失い寡婦となった女王は「北大家」と呼ばれた。同家の写経所では供養の写経が続き,皇太子阿倍内親王から料紙紫紙230張が下賜されている。諸兄政権のもとで正三位まで上った。

(児島恭子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の牟漏女王の言及

【橘三千代】より

…県犬養東人(あずまひと)の娘。天武朝に出仕するのと前後して美努(みの)王と結婚し,684年(天武13)葛城(かつらぎ)王(橘諸兄)を生み,前年誕生した軽(かる)皇子(文武天皇)の乳母となり,次いで佐為(さい)王(橘佐為),牟漏(むろ)女王(藤原房前(ふささき)室)を生んだ。後に藤原不比等(ふひと)に接近し,彼の長女宮子を文武天皇夫人とすることに成功して急速に親密となり,ついに美努王のもとを去り不比等と再婚した。…

※「牟漏女王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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