朝日日本歴史人物事典 「牟漏女王」の解説
牟漏女王
生年:生年不詳
奈良時代の貴族の女性,藤原房前の妻。父は美努王,母は県犬養橘三千代。695,96年の生まれか。無漏とも書く。光明皇后の異父姉,橘諸兄の妹。藤原不比等と再婚した三千代が,不比等の子房前を見込んで先夫との子牟漏を結婚させたという。和銅7(714)年に永手を,翌年真楯,御楯(双子)を出産。天平8(736)年,法隆寺に花形白銅鏡1面を寄進しているのは母の供養のためか。母の遺産を継ぎ,夫房前と共に家を経営していたと思われる。同9年に夫を痘瘡で失い寡婦となった女王は「北大家」と呼ばれた。同家の写経所では供養の写経が続き,皇太子阿倍内親王から料紙紫紙230張が下賜されている。諸兄政権のもとで正三位まで上った。
(児島恭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報