中国、唐代の密教の高僧。陝西(せんせい)省の人。初め長安の青龍寺の曇貞(どんてい)に、ついで大興善寺の不空三蔵(ふくうさんぞう)に師事して密教を学び、その秘奥(ひおう)を究めた。代宗(在位762~779)の帰依(きえ)を受けて内道場の護持僧となり、また青龍寺の東塔院に住して密教を広め、ついで徳宗(とくそう)、順宗(じゅんそう)(在位805)の崇敬を受け、三朝の国師と仰がれた。また民衆教化にも努め、門下には義明(ぎみょう)、義円(ぎえん)、弁弘(べんこう)、慧日(えにち)、義操(ぎそう)、惟上(いじょう)ら多くの人材を輩出した。805年には日本の空海が青龍寺において恵果から金剛界(こんごうかい)、胎蔵界(たいぞうかい)の灌頂(かんじょう)を受け、付法(師が法を伝授すること)の弟子となったが、この年の12月恵果は60歳で寂した。義操が師の後を継いで青龍寺主となり、空海は恵果追悼の碑文を書き、帰国して真言宗を開いた。日本の真言宗では、恵果を真言付法の八祖のなかの第七祖と仰ぐ。著作に『十八契印(げいいん)』『灌頂儀軌(ぎき)』などがある。
[勝又俊教 2017年2月16日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…金剛智の弟子不空は,唐代の玄宗・粛宗・代宗の3帝の信任を得て,密教を国家と不可分の関係においてその流通をはかり,また,おびただしい数の《金剛頂経》系の密教経典を翻訳して,密教を国家仏教の地位にまで引き上げた。不空の弟子恵果は,従来別個の流れであった《大日経》系の密教(大悲胎蔵法)と《金剛頂経》系の密教(金剛界法)とを両部不二とみて一元化し,のちの真言密教の思想大系の基礎をつくった。9世紀には,前述した二つの経典に《蘇悉地(そしつじ)経》を加えた密教の体系が構成された。…
…現存の両界曼荼羅のほとんどが空海請来系の現図曼荼羅であり,模写されて広く流布している。空海《請来目録》に,〈大毘盧遮那大悲胎蔵大曼荼羅一鋪(七幅,一丈六尺),金剛界九会曼荼羅一鋪(七幅,一丈六尺)〉とあるのが現図曼荼羅であり,この双幅の大曼荼羅は,空海の師の恵果(けいか)が供奉丹青(ぐぶたんせい)李真ら10余人の画工に描かせたといわれ,恵果より直接伝授されたものである。この両曼荼羅の組合せは,恵果以前には見いだせない。…
※「恵果」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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