牟田口廉也(読み)ムタグチ レンヤ

20世紀日本人名事典 「牟田口廉也」の解説

牟田口 廉也
ムタグチ レンヤ

昭和期の陸軍中将



生年
明治21(1888)年10月7日

没年
昭和41(1966)年8月2日

出生地
佐賀県

学歴〔年〕
陸士〔明治43年〕卒,陸大〔大正6年〕卒

経歴
参謀本部員を経て、昭和2年陸軍省軍務局課員、8年参謀本部庶務課長、12年支那駐屯歩兵第1連隊長、13年第4軍参謀長、15年中将。太平洋戦争開戦の16年第18師団長としてマレー進攻作戦に参加、シンガポール攻略後、マレー半島の華僑粛清を行ったのち、ビルマに移動。18年3月第15軍司令官となり、19年のインパール作戦で無謀な作戦指導により多くの餓死者を出し、予備役編入。20年召集、予科士官学校長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牟田口廉也」の解説

牟田口廉也 むたぐち-れんや

1888-1966 昭和時代前期の軍人
明治21年10月7日生まれ。昭和12年盧溝橋(ろこうきょう)事件のとき,支那駐屯歩兵第一連隊長として現場指揮。18年第十五軍司令官。インド進攻による戦局打開をはかり,19年インパール作戦を実施。補給無視の無謀な用兵により,参加将兵10万の半数をうしなった。陸軍中将。昭和41年8月2日死去。77歳。佐賀県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「牟田口廉也」の解説

牟田口 廉也 (むたぐち れんや)

生年月日:1888年10月7日
昭和時代の陸軍軍人。中将
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の牟田口廉也の言及

【インパール作戦】より

…1942年ビルマ(現ミャンマー)を席巻した日本軍はこの作戦を計画したが,成功を危ぶむ者も多く中止。しかし第15軍牟田口廉也司令官は再びこれをとりあげて44年1月より実行し,自由インド仮政府首班スバース・チャンドラ・ボース下のインド国民軍も参加,同市を包囲した。だが長い補給路,制空権のないことなどから惨敗。…

※「牟田口廉也」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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