牟田口廉也(読み)むたぐち れんや

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牟田口廉也」の解説

牟田口廉也 むたぐち-れんや

1888-1966 昭和時代前期の軍人
明治21年10月7日生まれ。昭和12年盧溝橋(ろこうきょう)事件のとき,支那駐屯歩兵第一連隊長として現場で指揮。18年第十五軍司令官。インド進攻による戦局打開をはかり,19年インパール作戦を実施。補給無視の無謀な用兵により,参加将兵10万の半数をうしなった。陸軍中将。昭和41年8月2日死去。77歳。佐賀県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典内の牟田口廉也の言及

【インパール作戦】より

…1942年ビルマ(現ミャンマー)を席巻した日本軍はこの作戦を計画したが,成功を危ぶむ者も多く中止。しかし第15軍牟田口廉也司令官は再びこれをとりあげて44年1月より実行し,自由インド仮政府首班スバース・チャンドラ・ボース下のインド国民軍も参加,同市を包囲した。だが長い補給路,制空権のないことなどから惨敗。…

※「牟田口廉也」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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