牧之郷(読み)まきのごう

日本歴史地名大系 「牧之郷」の解説

牧之郷
まきのごう

狩野かの川東岸の現牧之郷を遺称地とし、現修善寺町域東端の大野おおの辺りをも含んだ郷。「狩野牧」とも称された。「吾妻鏡」嘉禎元年(一二三五)八月二一日条に「伊豆国狩野庄内牧郷」「狩野牧」とみえ、狩野庄に含まれていた。当郷は初め源頼朝に従った加藤光員の所領であったが、承久三年(一二二一)五月三〇日兄に代わって弟景廉に与えられ、その死後子の景朝・景義兄弟で相論となり、鎌倉幕府評定での対決の結果、兄の景朝に宛行われた。戦国時代になると北条氏の支配下にあり、天文一九年(一五五〇)四月一日、北条氏は「狩野牧之郷百姓中」に対して公事賦課の法の改定を告げている(「北条家朱印状」三須文書)。畠高一八八貫九〇〇文とみえ、面積に換算すると畠地のみで一〇七町余となるかなりの大郷であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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