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蜷川氏 にながわうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蜷川氏
にながわうじ

物部氏の子孫といわれる宮道 (みやじ) 氏の出。大田式宗を始祖とし,親直の代には源頼朝に従い,越中国礪波 (となみ) 郡,同新川郡を領し,新川郡大田荘蜷川村に住んで蜷川氏を称した。のち伊勢氏の被官となり,親当 (→蜷川智蘊 ) のとき室町幕府政所代となり,代々これをつとめた。江戸時代になって徳川氏に仕え,旗本となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

にながわうじ【蜷川氏】

本姓宮道氏。越中国新川郡蜷川村に住して蜷川を称したという。鎌倉時代以前の事跡は明らかでない。家伝によれば,建武のころ蜷川親行は,足利氏の近臣で後に政所(まんどころ)執事となる伊勢貞継の仲介で足利氏に仕えた。親行の妹は貞継の息貞信の妾となって伊勢貞行を生むなど代々伊勢氏と婚を通じ,伊勢氏の家宰あるいは将軍の養い親として重きをなすようになった。伊勢氏が政所の長官に当たる執事になると政所代になって政所の実務処理に当たり,また故実にも通じていたので政界で重きをなした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蜷川氏
にながわうじ

本姓宮道(みやじ)氏。室町幕府の事務官僚の家。越中国(えっちゅうのくに)(富山県)新川(にいかわ)郡蜷川村に住したので、蜷川氏を称したという。建武(けんむ)(1334~38)のころ親朝(ちかとも)の代に、伊勢(いせ)氏と姻戚(いんせき)関係にあったことから、その仲介で足利(あしかが)氏に仕え、以後も伊勢氏と婚を通じたため、代々足利将軍の養母となった。親当(ちかまさ)のときから、幕府政所執事(まんどころしつじ)(長官)となった伊勢氏の代官として政所代を勤め、代々世襲した。8代将軍義政(よしまさ)に仕えた親元(ちかもと)(1433―88)、その子親孝(ちかたか)(?―1525)、曽孫(そうそん)親俊(ちかとし)(?―1569)は日記を残し、また家伝の文書(もんじょ)類は『大日本古文書』に収められて、この時期の政治・経済史料として貴重である。1562年(永禄5)親俊の主人伊勢貞孝(さだたか)が三好(みよし)氏と戦って敗死して以後一時衰退したが、のち徳川家康に仕え、旗本として幕末に至った。[桑山浩然]

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