新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「牧野忠毅」の解説 牧野 忠毅マキノ タダカツ 肩書長岡藩知事 生年月日安政6年2月16日(1859年) 経歴戊辰戦争で敗れて領地没収となった越後長岡藩の家名存続が許され、明治1年藩主となる。2年諸藩に先立って版籍奉還を願い出て、長岡藩知事に任命される。3年願いにより免官。 没年月日大正6年2月6日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧野忠毅」の解説 牧野忠毅 まきの-ただかつ 1859-1918 明治時代の大名。安政6年2月16日生まれ。牧野忠恭(ただゆき)の4男。戊辰(ぼしん)戦争で敗れて領地没収となった越後(えちご)(新潟県)長岡藩主牧野家の家名存続がゆるされ,明治元年13代藩主となる。その際,石高は7万4000石から2万4000石に減じられた。8年病のため隠居し,父忠恭がふたたび家督をつぐ。大正7年2月3日死去。60歳。 牧野忠毅 まきの-ただたけ ⇒まきの-ただかつ 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by