精選版 日本国語大辞典 「版籍奉還」の意味・読み・例文・類語
はんせき‐ほうかん ‥ホウクヮン【版籍奉還】
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1869年(明治2)6月、諸藩主が天皇に版(土地)と籍(人民)を還納した政治変革。戊辰(ぼしん)戦争は諸藩財政の破綻(はたん)、飛地(とびち)・入組(いりくみ)支配関係の矛盾顕在化、藩内の団結力弛緩(しかん)、その他藩体制の危機を深めた。領主階級の大部分は、判物(はんもつ)返上―再交付によってこの危機を乗り切ることを期待した。一方、新政府内の木戸孝允(たかよし)、大久保利通(としみち)らは早くから版籍奉還の必要を考え、姫路藩主の最初の版籍奉還願を退け、薩長土肥(さっちょうどひ)四藩に工作して69年1月にこれら四藩主の版籍奉還建白を実現させた。以後、大部分の諸藩がこれに倣った。また新政府は、天皇の東京再幸、上局会議、公議所などでの諸侯公卿(くぎょう)藩士への諮問、戊辰戦功の賞典禄(しょうてんろく)下賜などにより版籍奉還の準備を整えた。6月17~25日諸藩主の版籍奉還願を天皇が聴許して知藩事を任命、公卿諸侯を華族とし諸藩に諸務変革を指令した。これにより、知藩事の家禄(かろく)を現石高(こくだか)の10分の1とし、藩士家禄は諸藩適宜に改革、一門以下平士まですべて士族と称されることになった。7月職員令(しきいんりょう)による官制改革が行われて、律令(りつりょう)制の官制が復活した。版籍奉還は、諸藩領有権の天皇への統合、藩主の非世襲知事化、藩主・藩士の主従関係の否定、身分制・禄制の大改革など、廃藩置県への決定的第一歩となった。
[原口 清]
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幕藩体制解体の過程で実施された土地(版)・人民(籍)の朝廷(天皇)への返上政策。藩主が返還を願い出て,朝廷が聴許するというかたちがとられた。1868年(明治元)11月の姫路藩主の願いが最初。木戸孝允(たかよし)・大久保利通(としみち)らが推進役となり,翌年1月20日に薩長土肥の4藩主が連名で版籍奉還の上表文を朝廷に提出し,続いて他の藩主たちもこれにならった。上局会議や公議所の討議というかたちを整えたうえで6月17日から聴許,建白書未提出の14藩主には奉還を命じ,最終的には274の全藩主が奉還した。藩主はあらためて知藩事に任命され,地方長官として藩政を委任された。70年9月布告の藩制により藩の組織などを細部まで統一して各藩の藩政改革を促したが,71年7月に廃藩置県となった。
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…そのなかで公正は出仕を拒否し失脚した。
[幕末・維新期――廃藩置県への道]
1868年3月14日に〈五ヶ条の誓文〉によって新政の基本方針が出され,翌69年6月17日には薩長土肥以下諸藩主の版籍奉還を許し,各藩知事に任命した。以後奉還が相次ぎ,公卿,諸侯を華族と改称し,6月25日には藩知事に禄制改革を通達していた。…
※「版籍奉還」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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