版籍奉還(読み)ハンセキホウカン

デジタル大辞泉 「版籍奉還」の意味・読み・例文・類語

はんせき‐ほうかん〔‐ホウクワン〕【版籍奉還】

明治2年(1869)全国の各藩主がその土地(版)と人民(籍)とを朝廷に返還したこと。明治政府による中央集権強化のための改革で、廃藩置県の前提となった。

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精選版 日本国語大辞典 「版籍奉還」の意味・読み・例文・類語

はんせき‐ほうかん‥ホウクヮン【版籍奉還】

  1. 〘 名詞 〙 藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に返還すること。歴史的には、明治二年(一八六九)全国の大名がその土地と人民を朝廷に返し、改めて知藩事任命されたことをさす。
    1. [初出の実例]「朕、曩に諸藩版籍奉還の議を聴納し」(出典:廃藩置県の詔‐明治四年(1871)七月一四日)

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改訂新版 世界大百科事典 「版籍奉還」の意味・わかりやすい解説

版籍奉還 (はんせきほうかん)

1869年(明治2)6月,諸藩主が土地(版)と人民(籍)を朝廷(天皇)に還納した政治行為および政治過程の称。維新政府による中央集権化の一過程で,〈奉還〉という形式をとりつつ,藩への政府の統制力強化がなされた。戊辰戦争の影響から一部の藩(たとえば姫路藩)には藩を投げ出そうとする動きがあったが,維新政府の首脳(維新官僚)は,それを抑えて,69年1月20日,薩長土肥4藩主の連名による版籍奉還の上表文を朝廷に提出させた。この上表文は,いまの大政変革という千載一遇のチャンスを有名無実にしてはならないといい,一方では王土王民論を強調し,他方では〈朝廷宜(よろしき)ニ処シ,其与フ可キハ之(これ)ヲ与ヘ,其奪フ可キハコレヲ奪ヒ〉と述べ,所領の再確認をほのめかしていた。

 この上表文が版籍奉還のきっかけとなるのだが,そのねらいの第1は,所領の再確認ということによって不安を抱く多くの藩主に希望をもたせて反対気運をそぐ効果をもたせた。第2には,藩投出しの動きをしていた他の諸藩を抑えて,薩長土肥4藩主に主導権をもたせたことである。第3には,この上表文をただちに朝廷は聴許せず,会議を開き,公論をつくして決するとし,その政治的効果をねらった。つまり,当時の公議世論の尊重の実行の一環ではあったが,列藩はそのことによって後れをとるまいと同一行動にはしった。諸藩の間には建白書の借覧がなされ,同趣旨の建白書が相ついで提出された。版籍奉還問題は,5月,上局会議にかけられ,同時に公議所にも諮問されたのである。上局会議の公卿や諸大名は趣旨には賛成としつつも,それが郡県制へつきすすむことをためらった。公議所では封建制の存続か,郡県制へ変わるかで議論は拮抗した。ともかく郡県制に賛成したのは,101藩と昌平学校で,封建制支持は102藩だった。賛否伯仲のため,公議所は封建・郡県折衷論の奉答文を提出した。連署した議員は97名。この公議所の折衷的態度に,断固郡県制を主張していた大久保利通は,公議所無用論を唱えた(7月8日,公議所は廃止,集議院となる)。このようにきわめて政治的な方法をとりつつ,戊辰戦争終了直後の69年6月17日,版籍奉還は聴許された。このプロセスが〈一の謀略〉であったことを,のちに木戸孝允は日記に告白している(明治4年7月14日条)。また,この版籍奉還には廃藩とは違うという意味合いをもたせていたから,藩主や藩士説得にもちえた効果は大きかった。維新官僚のこの画策は効を奏し,6月25日までに薩長土肥以下262藩主が版籍を奉還した。最終的には274藩主,総草高(くさだか)1904万6000余石(現石926万1000余石)に及んだのである(1870年8月2日)。そこで維新政府は藩主をあらためて知藩事に任命し,諸務変革を命じた。

 版籍奉還による土地・人民の朝廷への返還は確かに名目にとどまり,藩主はそのままだったが,しかし,知藩事としての藩主は,もはや維新政府の任命した一地方官にすぎなくなり,藩主としての実質を失っていた。版籍奉還が廃藩置県への第一歩といわれるゆえんである。それとともに,この版籍奉還過程にみられる巧妙な政治的手法は,維新官僚の特質一端をみごとに物語っているといえよう。
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百科事典マイペディア 「版籍奉還」の意味・わかりやすい解説

版籍奉還【はんせきほうかん】

1869年薩長土肥4藩主の首唱により,全国の各藩主が版(版目=土地)と籍(戸籍=人民)を朝廷に返上したこと。藩主の封建的諸特権はほぼ従来どおりであったが,身分上は知藩事として天皇の任命する官吏となった。以後廃藩置県に至る藩体制解体政策が実質的に着手された。→秩禄処分
→関連項目大久保利通華族亀山木戸孝允士族政体書大名田辺天皇制日本広沢真臣

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「版籍奉還」の意味・わかりやすい解説

版籍奉還
はんせきほうかん

1869年(明治2)6月、諸藩主が天皇に版(土地)と籍(人民)を還納した政治変革。戊辰(ぼしん)戦争は諸藩財政の破綻(はたん)、飛地(とびち)・入組(いりくみ)支配関係の矛盾顕在化、藩内の団結力弛緩(しかん)、その他藩体制の危機を深めた。領主階級の大部分は、判物(はんもつ)返上―再交付によってこの危機を乗り切ることを期待した。一方、新政府内の木戸孝允(たかよし)、大久保利通(としみち)らは早くから版籍奉還の必要を考え、姫路藩主の最初の版籍奉還願を退け、薩長土肥(さっちょうどひ)四藩に工作して69年1月にこれら四藩主の版籍奉還建白を実現させた。以後、大部分の諸藩がこれに倣った。また新政府は、天皇の東京再幸、上局会議、公議所などでの諸侯公卿(くぎょう)藩士への諮問、戊辰戦功の賞典禄(しょうてんろく)下賜などにより版籍奉還の準備を整えた。6月17~25日諸藩主の版籍奉還願を天皇が聴許して知藩事を任命、公卿諸侯を華族とし諸藩に諸務変革を指令した。これにより、知藩事の家禄(かろく)を現石高(こくだか)の10分の1とし、藩士家禄は諸藩適宜に改革、一門以下平士まですべて士族と称されることになった。7月職員令(しきいんりょう)による官制改革が行われて、律令(りつりょう)制の官制が復活した。版籍奉還は、諸藩領有権の天皇への統合、藩主の非世襲知事化、藩主・藩士の主従関係の否定、身分制・禄制の大改革など、廃藩置県への決定的第一歩となった。

[原口 清]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「版籍奉還」の意味・わかりやすい解説

版籍奉還
はんせきほうかん

明治維新後も存続した諸藩主が明治2 (1869) 年土地 (版) と人民 (籍) に対する支配権を朝廷に返還したこと。すでに前年藩治職制によって政府の藩政干渉が強まったが,まもなく長州藩士木戸孝允が主唱者となり,新政府の支持基盤である薩摩,土佐,肥前の各藩有力者が同調してこの年1月 20日これら4藩の藩主が連署して天皇に封土,領民返還の建白を行なった。これにならって他の諸藩主も続々建白を提出し,当時まだ諸藩を制する支配力に欠けていた明治新政府は,6月奉還聴許に決するとともに,旧藩主をそのまま政府の任命する知藩事とし,変革を形式面にとどめた。それは,やがて起った廃藩置県への一過程をなすものであった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「版籍奉還」の解説

版籍奉還
はんせきほうかん

幕藩体制解体の過程で実施された土地(版)・人民(籍)の朝廷(天皇)への返上政策。藩主が返還を願い出て,朝廷が聴許するというかたちがとられた。1868年(明治元)11月の姫路藩主の願いが最初。木戸孝允(たかよし)・大久保利通(としみち)らが推進役となり,翌年1月20日に薩長土肥の4藩主が連名で版籍奉還の上表文を朝廷に提出し,続いて他の藩主たちもこれにならった。上局会議や公議所の討議というかたちを整えたうえで6月17日から聴許,建白書未提出の14藩主には奉還を命じ,最終的には274の全藩主が奉還した。藩主はあらためて知藩事に任命され,地方長官として藩政を委任された。70年9月布告の藩制により藩の組織などを細部まで統一して各藩の藩政改革を促したが,71年7月に廃藩置県となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「版籍奉還」の解説

版籍奉還
はんせきほうかん

1869(明治2)年,諸藩主が土地・人民を天皇に返上するという形式で,封建的割拠体制を打破した政策
維新政府は中央集権体制を確立するため,大久保利通・木戸孝允・板垣退助・大隈重信らの間で計画を進め,薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主を説き,その結果,4藩主が版(土地)・籍(人民)の奉還を願い出て他藩主もこれにならった。政府は従来の諸藩主を知藩事に任命し,したがって旧藩主と人民の封建的関係は存続したが,これにより封建的な藩体制解体への第一歩を踏み出した。

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世界大百科事典(旧版)内の版籍奉還の言及

【藩政改革】より

…そのなかで公正は出仕を拒否し失脚した。
[幕末・維新期――廃藩置県への道]
 1868年3月14日に〈五ヶ条の誓文〉によって新政の基本方針が出され,翌69年6月17日には薩長土肥以下諸藩主の版籍奉還を許し,各藩知事に任命した。以後奉還が相次ぎ,公卿,諸侯を華族と改称し,6月25日には藩知事に禄制改革を通達していた。…

※「版籍奉還」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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