牧野忠篤(読み)マキノ タダアツ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「牧野忠篤」の解説

牧野 忠篤
マキノ タダアツ


肩書
貴院議員(子爵),長岡市長

生年月日
明治3年10月12日

学歴
慶応義塾別科〔明治26年〕卒

経歴
明治11年家督を継ぎ、17年子爵、30年以来貴院議員当選6回、研究会幹部として活躍。29年に長岡初代市長。ほかに宝田石油社長、日本石油、長岡鉄道各重役、帝国農会会長、日本中央蚕糸会会長、米穀統制調査会、教科用図書審査会各委員などの要職を務めた。

没年月日
昭和10年4月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「牧野忠篤」の解説

牧野 忠篤
マキノ タダアツ

明治・大正期の政治家 貴院議員(子爵);長岡市長。



生年
明治3年10月12日(1870年)

没年
昭和10(1935)年4月11日

学歴〔年〕
慶応義塾別科〔明治26年〕卒

経歴
明治11年家督を継ぎ、17年子爵、30年以来貴院議員当選6回、研究会幹部として活躍。29年に長岡初代市長。ほかに宝田石油社長、日本石油、長岡鉄道各重役、帝国農会会長、日本中央蚕糸会会長、米穀統制調査会、教科用図書審査会各委員などの要職を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧野忠篤」の解説

牧野忠篤 まきの-ただあつ

1870-1935 明治-昭和時代前期の華族,政治家。
明治3年10月12日生まれ。牧野忠恭(ただゆき)の5男。明治11年新潟県旧長岡藩主牧野家の家督をつぐ。17年子爵。30年貴族院議員となり,研究会の中心として活動。39年長岡市初代市長。帝国農会会長,日本中央蚕糸会会長。昭和10年4月11日死去。66歳。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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