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牧野氏 まきのうじ

世界大百科事典 第2版の解説

まきのうじ【牧野氏】

東三河の国人領主。戦国末期に松平氏の家臣となり,近世には一族の各家は将軍家の門閥譜代家臣として大名や上級旗本となる。出自は紀氏で,武内宿禰の後胤阿波民部丞成能,田内左衛門尉成直親子が阿波守に任じて以来,子孫相うけて讃岐国に住んでいたが,田内左衛門成富が応永年中(1394‐1428)細川氏に従って三河国に移り,宝飯(ほい)郡牧野村(現,愛知県豊川市)に住んでから牧野を称したという。戦国期には氏勝家と定成(さだしげ)家の2流があった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の牧野氏の言及

【小諸藩】より

…松平氏以後譜代藩となり,青山氏・酒井氏各3万石,西尾氏2万7000石,石川氏2万石と交代,この間に地方(じかた)知行制が廃され,78年(延宝6)には酒井氏の過酷な総検地が百姓一揆をひきおこした。1702年(元禄15)以降は牧野氏1万5000石で固定して10代つづき,年貢のうち5分の1の代金納と現物納分の上州松井田,倉賀野払いが定着し,40年(元文5)には幕府領にならって定免制を採用した。9代牧野康哉(やすとし)は財政改革や育児法,養老法,郷村復興仕法,種痘などの開明的施策で知られ,若年寄として幕閣に列した。…

【延岡藩】より

…代わって92年三浦明敬(2万3000石),1712年(正徳2)牧野成央が入封(8万石)。牧野氏は領内の農政に意を注いだようで,ことに五ヶ瀬川から用水を分流する岩熊井堰を建設して延岡平野の水田化を進めた。1747年(延享4)内藤政樹入封。…

【吉田】より

…東海道の宿駅。戦国の武将牧野氏がこの地に今橋城を築いて職人を招き,社寺を勧請してから発展し,一説では1522年(大永2)牧野信成が今橋城を改めて吉田城と称したという。吉田城は東から今川氏,西からは松平氏,それに田原の戸田氏の進攻の前に幾度か戦火にさらされたが,豊臣秀吉の命によって池田輝政が15万石余で入封すると,城郭を築き,豊川の治水に努力し,町並みを整備するなど,本格的な城下の建設に着手した。…

※「牧野氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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