犬田城跡(読み)いんだじようあと

日本歴史地名大系 「犬田城跡」の解説

犬田城跡
いんだじようあと

[現在地名]枚方市印田町

淀川の支流天野あまの川の東岸に位置する。東高野街道と私市きさいち(現交野市)を通って奈良へ向かう街道との接点近くにあたり、北河内北部の要衝。明応二年(一四九三)に興福寺の尋尊が描いた河内御陣図(福智院家文書)にも、楠葉くすは野崎のざき(現大東市)の中間に「犬タ城」と記される。文明一五年(一四八三)攻城戦史上日本最初の水攻めによる合戦が行われた城として知られる。この前年から河内各所で死闘を繰返していた畠山政長と義就の両軍は、この年八月、河内中宮なかみやの谷を隔てて集結し、まきの犬田城には政長の被官野尻某が籠城し、河内守護代遊佐長直・椎名某ら政長直系の家臣が後詰していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む