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狩野養信

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美術人名辞典の解説

狩野養信

江戸後期の画家。木挽町狩野家第九代。江戸生。木挽町八代伊川院栄信の長男。養信は名、号は会心斎・玉川、通称は庄三郎。画法を父に学ぶ。文政2年(1819)法眼に叙せられ、家督を継ぐ。のち法印に進み、晴川院と称する。弘化3年(1848)歿、51才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

狩野養信 かのう-おさのぶ

1796-1846 江戸時代後期の画家。
寛政8年7月26日生まれ。木挽町(こびきちょう)狩野家の伊川の長男で,文政11年(1828)跡をつぐ。のち法印となった。江戸城西の丸・本丸の障壁画を制作。また中国や日本の古典作品の模写に力をそそいだ。弘化(こうか)3年5月19日死去。51歳。号は玉川,晴川院(せいせんいん),会心斎。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

狩野養信

没年:弘化3.5.19(1846.6.12)
生年:寛政8.7.26(1796.8.28)
江戸後期の画家。晴川院,会心斎と号す。狩野伊川院栄信の子で,木挽町狩野家9代目。文政2(1819)年法眼に,天保5(1834)年法印となる。古絵巻類の模写などを通じて古典的なやまと絵の研鑽を積み,狩野派に新風を吹き込んで幕末の狩野派の重鎮となる。代表作「源氏物語 子の日図屏風」(遠山記念館蔵)。2度にわたって統率した江戸城障壁画制作(1839年西の丸と1845年本丸)の実態は,下絵と「公用日記」(ともに東京国立博物館蔵)によりかなり詳しく知ることができる。<参考文献>東京国立博物館編『江戸城障壁画の下絵』

(仲町啓子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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