日本大百科全書(ニッポニカ) 「猪名荘」の意味・わかりやすい解説
猪名荘
いなのしょう
摂津国河辺(かわのべ)郡、現在の兵庫県尼崎(あまがさき)市の南東部にあった東大寺領荘園。猪名川河口の低湿地で、古くから朝廷の直轄領である屯倉(みやけ)であったと考えられている。756年(天平勝宝8)孝謙(こうけん)天皇がこの地を東大寺に施入。同年作成された猪名荘絵図の写本が現存する。この絵図によれば、荘の南部は浜で、杭瀬(くいせ)浜、長洲(ながす)浜、大物(だいもつ)浜と記されている。950年(天暦4)の記録では田地85町余、1214年(建保2)の調べでは45町余に減少。これは、浜の砂州(さす)が広がるにつれ、漁民らが集まり住んで、杭瀬荘、長洲荘、長洲御厨(みくりや)など別の荘園がつくられたためである。耕地の拡大、人口の増加が著しいこの地の権益をめぐる争いは、中世を通じて繰り返されたが、東大寺は倶舎三十講(くしゃさんじっこう)の費用をこの荘園から捻出(ねんしゅつ)しようとした。
[富沢清人]
『『尼ヶ崎市史 第1巻』(1966・尼ヶ崎市)』