猪鹿牧
いがのまき
西に浅川山・まゆみ沢山を背負い、烏川と浅川にかこまれた島状地形の上に立地。「延喜式」所載の左右馬寮所属の御牧(勅旨牧)の信濃国「猪鹿牧」の中にみえ、「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条には「左馬寮領緒鹿牧」とある。元徳元年(一三二九)大宮御造栄之目録(諏訪大社上社文書)府中の条に「玉垣二間、伊賀之牧」とあり、明応一〇年(一五〇一)の三宮穂高社御造宮定日記(穂高神社蔵)に「猪鹿牧」と出ていることから当郡に所在していたことが明らかである。今日の牧集落はこの遺称地であろう。
当地には古墳時代末期の古墳が一二基存在する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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