猿毛城跡(読み)さるげじようあと

日本歴史地名大系 「猿毛城跡」の解説

猿毛城跡
さるげじようあと

[現在地名]柿崎町城腰

よね山南麓の標高四七八・九メートルの独立山じよう山にあり、南東城腰じようのこし集落。戦国期の山城で、急峻な断崖であるため大規模な普請を必要としなかったと思われる。本丸跡は幅三メートルから一五メートル、長さ七六メートルの郭で囲まれ、塚と祠がある。その東下に二ノ丸。空堀と竪堀が各二条あり、土塁はみられない。米山北麓に旗持はたもち城跡(現柏崎市)があり、これが海岸線の防備にあたり、当城は黒岩くろいわ村を通って刈羽郡に抜ける街道を監視したと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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