猿江町
さるえちよう
[現在地名]江東区猿江一―二丁目
小名木川北岸の町屋。深川猿江町とも称した。数ヵ所の土地に分散しており、町の西端は横川(大横川)を挟んで西町に対し、東端は小名木川北岸の上大島町に接している。文政町方書上によると、もとは猿江村の内だったが、明暦三年(一六五七)頃から百姓居屋敷のうち商売屋となる家が増え、併せて家作も増加したため、元禄年中(一六八八―一七〇四)町方支配を受けるようになり、宝永三年(一七〇六)土地売買・家作免許となった。以来町奉行・代官の両支配。猿江神社の縁起によれば、康平年中(一〇五八―六五)源頼義の奥州征伐時に武士の亡骸が当地の江(海浜の入江か)にたどり着き、毎夜光明を放つので諸人が改めてみると、鎧の引合いに猿藤太と記してあり法華経を持っていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 