出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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小名木川
おなぎがわ
大島九丁目から常盤一丁目まで江東区の中央を東西に横切り、旧中川と隅田川を結ぶ運河。江戸時代の規模は長さおよそ一里一〇町、川幅は中川口で一四間、隅田川口で二〇間。天正一八年(一五九〇)徳川家康が江戸へ入府後、行徳(現千葉県市川市)の塩を運ぶ目的で開削したという。また小名木川と船堀川を合せて行徳川ともよぶ(御府内備考・風土記稿)。中川口より船堀川・江戸川を通じ利根川水系へと至る。河川交通路上の江戸への出入口として、正保(一六四四―四八)の頃には隅田川口の万年橋北岸に川船改の番所が設置された。明暦三年(一六五七)の大火後、江戸市街地の拡大に伴う本所・深川地域の開発により寛文元年(一六六一)に中川口に移され、以後明治二年(一八六九)に廃止されるまで小名木川を通り江戸へ出入りする人や物資の検査と取締を行った(「風土記稿」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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小名木川 (おなぎがわ)
東京都江東区の北部を東西にほぼ一直線に流れる中小河川。全長4.6km。東砂2丁目で旧中川と,西端では清澄1丁目で隅田川と結ぶ。徳川家康入国の後,行徳(ぎようとく)の塩を江戸へ運搬するとともに,江戸と利根川水系を結合する目的で掘られ,江戸が大都市として発展するにつれて,後背地からの物資の流入の重要ルートとなった。幕府は中川口に御番所を設けて,出入りの船を取り締まった。明治以後は舟運を利用して,製鋼,機械製造を初めとする重工業の工場が立地した。両岸の土地は一般に地盤が低いが,特に高度0m以下の部分の多い扇橋閘門(こうもん)以東の河岸には,閘門によって平常水位を低下させる工夫を,また1~2mの高度を示すとともに,河川利用の多い閘門以西では,護岸の耐震化工事が進められた。
執筆者:籠瀬 良明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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小名木川
おなぎがわ
東京都江東区(こうとうく)北部を流れる川。行徳塩(ぎょうとくじお)(行徳は千葉県市川市)を江戸に搬入する舟路として隅田川(すみだがわ)と中川とを結んだ運河で、徳川家康江戸入府後まもなく開通した。のちに深川方面の埋立てが進展して川岸が改修され、現在の小名木川(延長4.6キロメートル)になった。中川から先は東の舟堀川に結ばれて江戸川と隅田川が通じ、東廻(まわ)りの船が利根(とね)川、江戸川を経て江戸へ物資を運ぶ大動脈であった。北砂にあったJR小名川駅は貨物駅として輸送の一端を担っていたが、2000年廃駅。
[菊池万雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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