猿返城跡
さるがえしじようあと
八方ヶ岳から南西に延びる尾根伝いの一角にあり、木野川と内田川の分水嶺ともなる標高六八二・四メートルの山城。永野城とも称し、隈部館の北東約一・二キロにある。館から死角となる北方の筑後境や北西の上内田の眺望が抜群で、伝えの城の役割を果したと思われる。「一統志」に日渡城などとともに「隈部但馬守鎮永居之、天正年中入菊池城」とある。「事蹟通考」には「親永カ築所嶮岨斗絶ノ要地ナリ、本丸館跡ノ礎今ニ残レリ」とあり、「国誌」にも「永野城トモ云(中略)隈部親長所築険要ノ地也」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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