玉丘古墳(読み)たまおかこふん

日本歴史地名大系 「玉丘古墳」の解説

玉丘古墳
たまおかこふん

[現在地名]加西市玉丘町 水塚

加西市街地の南東、長さ約二・五キロ、幅約一キロの盆地内に前方後円墳三基・帆立貝式古墳一基と円墳三〇基以上からなる玉丘古墳群があり、かつて針間鴨国とよばれた播磨北部の古墳分布の中心をなしている。うち一〇基が国指定史跡。およそ五、六世紀に営造されたもので、そのうち玉丘古墳は五世紀前半に属し、規模のうえでも最大である。「播磨国風土記」の賀毛かも楢原ならはら里の条に国造の娘根日女命の墓を玉丘とよび、村を玉野たまのと名付けたとあるのは、おそらく当古墳にまつわる伝承であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「玉丘古墳」の解説

たまおかこふん【玉丘古墳】


⇒玉丘古墳群(たまおかこふんぐん)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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