玉伝村(読み)たまでむら

日本歴史地名大系 「玉伝村」の解説

玉伝村
たまでむら

[現在地名]日置川町玉伝

北は鮎川あゆかわ(現大塔村)生馬いくま(現上富田町)、南はおお村、東は里谷さとだに村・小房おぶさ村・市鹿野いちかの村、西は生馬村と宇津木うつぎ村に接する。小名川原谷かわらだには村の北に、中心集落は大村との境に近い南部に位置する。「続風土記」に「旧玉手と書す、其義詳ならす」と記される。

慶長検地高目録によると村高五二石余、小物成四・六三二石。天保郷帳の注によると古くは川原谷村二村に分れていた。元和五年(一六一九)以降和歌山藩田辺領であったが、正保三年(一六四六)今高制施行により上知となったため、嘉永六年(一八五三)に返還されるまで、和歌山藩口熊野代官所(現すさみ町)の支配下に置かれ、周参見組に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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