玉幸新田(読み)たまさきしんでん

日本歴史地名大系 「玉幸新田」の解説

玉幸新田
たまさきしんでん

[現在地名]弥彦村上泉かみいずみ

いずみ村南東、井田いだ村との間の楊枝ようじ潟干拓により開発された新田。宝暦四年(一七五四)潟回り八ヵ村から新田開発願(高橋文書)石瀬いしぜ代官所に出され、同七年許可された(高橋兵部日記)。開発は楊枝潟に流入する川の川筋を西に替え、さらに潟から東方の西にし川へ排水路を掘って水を落し、潟を干上がらせて耕地化しようとするものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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